最低だった。
今日という日はずっと最低だった。
そりゃもうホント金太郎飴みたいに。
どこを切っても最低、最低、最低、最低…。
ストレスで寿命が3ヶ月くらい縮んだんじゃないかって思う、わりと本気で。
まず朝っぱらからギターを背負って登校して好奇の目に晒される。
次に教室に入る直前で何故か玖我のギターだということがバレて、
教室の後ろ側の引戸の辺りに人だかり(主に女の)が出来る。
昼休み、先日あたしに「玖我とそういう関係なのか」と嬉々として
訊いてきたノータリンなクラスメートに案の定ギターの件を問い質される。
曖昧に返事をして逃げるように屋上に向かうと玖我&鴇羽のペアに出くわす。
鴇羽はあたしの顔を見るなり気の毒そうにして、玖我は吹き出していた。
その流れで例の如く玖我と口喧嘩をする。
放課後、人目を避けて玖我の教室に赴きやっとギターを返す。
なんであたしがこんな目に合わないといけない。
朝一でギターを返すべきだってわかってたわよ。
でもあの視線の中、仮にも上級生の教室(しかも高等部)に
ずかずかと入って行ける程あたしの神経は図太くない。
それに今日は夕方からスタジオ練習だ。
遅くても学校を出る前に返せればそれでいいと妥協した。
「なんだ、いま返すのか」
「当たり前でしょ。あんたの代わりにスタジオまで担いでくなんて死んでもごめんだから」
「そうか、残念だ。楽できると思ったんだがな」
「あんたねぇ!…ってゆーかあんたのファン、頭おかしいんじゃないの?ちょっと異常よ、アレ」
「?」
「なんでギター背負ってるだけであんたのだってバレんのよ」
「あぁ、それはマヨネーズのストラップがついてるからじゃないか?ほらここ、チャックのとこ」
「きっしょいストラップ付けてんじゃないわよ!!」
すぐに玖我の持ち物だとバレたカラクリが分かってすっきりした。
でも、この不気味なストラップを千切って窓から放り投げてやりたい。
妙なアイデンティティを主張しないで。
「でもさ、奈緒ちゃんがギター背負ってるんだもん。みんななつきのだと思うよ」
「そういうもんかしら」
「そうだよ。みんなバンド組んでるのは知ってるわけだし」
確かに。
言われてみればそうだ。
玖我のだと周囲にバレる前だって「どっちだろう」だなんて囁きが聞こえたくらいだ。
あの声を耳にしたときは、あたしの持ち物なのか誰かからの借り物なのか、という意味で捉えていたけど……
「どっちだろうって、そういうことね…」
「どうしたんだ?奈緒」
「確かに、素人にはケースに入ったベースとギターの区別なんてつかないかもね」
独り言のように呟いて肩を落とす。
いや、今のは完全に独り言だった。
「元よりあたしのものだなんて思われてなかったって言ってるのよ、このギター」
「そうなのか……?で、どうだった?ギター背負ってたら目立つだろ?」
「だからそれはアンタのギターだからでしょ!」
「なつき、奈緒ちゃんに謝りなさいよ」
「なんでだ!元はと言えばこいつが」
「元って何よ。なんならあんたが死ぬ程鈍感だってところまで元を正そうか?」
「貴っ様、あれだけ目立っておいてまだ言うか!」
あたしはこいつのワケのわからない勘違いを正してやりたいとは思わない。
単純に、その事実を話すとあたしがこいつのことを褒めているみたいで気分が悪いから。
見かねた鴇羽が玖我にでもわかるように噛み砕いて説明している。
あたしはその光景を尻目にその場を去った。なんでって、だってすごく馬鹿馬鹿しいでしょ。
最後に視界の隅で捉えた玖我は、訳が分からないというような顔をしていた。
あんたの鈍感さの方がよっぽど不可解だっての。
で、時は冒頭。
不幸が絶えず、まるで金太郎飴のようだと比喩したとき、あたしは信号待ちで突っ立っていた。
玖我と藤乃は大体一緒だけど、あたしはスタジオへは一人で向かうことが多い。
それは中等部と高等部で時間割が違うからっていうのもあるけど、単純に仲良しごっこなんて性に合わないから。
学校が終わってから本屋などで時間をつぶすことが多いが、
今日は玖我のクラスに行くためにしばらく待ってたから例外だ。
そこそこ余裕はあるけど、寄り道している時間はなさそうなので真っ直ぐスタジオコース。
というより、普通ならさっきまで一緒にいた玖我と来る流れだったんだろうと思う。
「はぁ…そんなことできる訳ないじゃない。万が一あの取り巻き達に見られたら」
「なんや悩み事どすか?」
「!?」
驚き過ぎて声にならない。
見上げると隣にはいつの間にか藤乃が立っていた。
「青、どす。行きましょ」
「あ…うん」
出来る限りこいつらには反抗しておきたいあたしだけどさすがに信号を渡ろうという
提案を却下できるような台詞や事情は持ち合わせていなかった。
そもそも向かうところは同じだしね。逃げようがない。
「玖我は?」
「なつきはちょお遅刻しはるみたいどすえ」
「はぁ!?だってさっき教室に」
「センセに呼ばれたてメール、入っとりません?」
「メール?……あ、ホントだ」
スカートからケータイを取り出すと玖我からメールが入っていた。
内容は読むまでもないだろう。マナーモードにしていて気付かなかった。
あと何回生徒指導を受ければ気が済むんだろ、あいつ。
ということはしばらくは藤乃と二人ということになる。
「二人で練習なんて初めてやね」
「え?練習するの?」
「せんの?うち、奈緒はんと試してみたいプレイがぎょうさんあったんに」
「あんたら妙な言い回しすんなって何回言えば理解するわけ」
油断も隙もあったもんじゃない。
あたしは眉一つ動かさずにツッコミを入れながら若干早足で歩いた。
「そないに急がんと。あ、うちとおるのが嫌なん?傷付くわぁ」
「頭の中と発言が一致してないわよ、藤乃」
「そないなことあらへんよ。……なぁ奈緒はん」
「何」
「なつきはうちのこと、静留って呼んでくれはります」
「そうね」
だから?
まさかこの流れでノロケ話を聞かされるのだろうか。
だとしたら勘弁だ。
何が悲しくてバンドメンバーのそっちの事情に詳しくならなければいけない。
というか残念なことにもう大分詳しいのだ。
これ以上は勘弁願いたい。
「静留って、呼んどくれやす」
「…誰に言ってんの」
「奈緒はんどす」
「……」
とんでもない発言に思わず絶句してしまった。
絶対に嫌だ。
だっておかしいじゃない、間違えて公衆の面前で呼んだ日にはまた変な噂を立てられる。
いや、これはあたしの考え過ぎかもしれないけど。
とにかく、なんとなく面倒なことが起こりそうな気がして、肯定する気分にはとてもなれない。
「嫌どすか…」
「……」
「残念やわぁ。でも仕方あらへんね」
一瞬だけ悲しそうな顔をしてすぐに藤乃はいつも通り笑った。
そういう仕草を計算ずくでやっているとしたら今のあたしは藤乃の掌の上だ。
それでも…そんな顔されたら。
「はぁ…わかったわよ」
「え……?」
ほっとけないでしょーが。
「…静留」
「!」
「呼んでやってんだから返事くらいしなさいよ、静留」
「は、はいっ」
藤乃は嬉しそうにあたしの顔を見ている。
なんだか居たたまれなくなって視線を逸らした。
「まさか呼んでくれると思てへんかったさかい、嬉しおす」
「はいはい」
「距離が近うなったみたいやね」
「まぁ、多少はね。調子に乗って距離詰め過ぎんじゃないわよ?」
「それは約束しかねますわ、ドラムとベースは夫婦言いますし」
なーにがドラムとベースは夫婦、だ。
あんたの旦那はギタボでしょ。
あ、いや藤乃が旦那なのかな。
……やめよう、深く考えるのはよそう。
「奈緒はん、なんや今いやらしいこと考えてはりました?」
「藤乃と一緒にすんな!」
「藤乃やのぉて?」
「……静留」
「はい、よーできましたー」
もう本当に今更だけど、こいつには一生勝てる気がしない。
随分と珍しく屈託なく笑う藤乃に頭を撫でられながら、あたしはスタジオの扉を少し乱暴に開けた。